マザーグール30話(漫画レビュー)
環の過去
恐ろしく長い記事になりました。申し訳ないですが、環の話しかしません(笑)。あと、かなり穿った見方で、私見と作品自体の表していることが入り交じり、ごっちゃになってます。あらかじめご了承ください。
さて、マザーグール30話更新されてましたね。今回は環パート。流れ的には死ぬ確率が高そうでしたので、恐らく過去を一切明かさずに死ぬことはないだろうと思いつつも、読者的には明らかにヘイトが高まっているところでどうなるか、というところは予測できなかった面もあります。
掘り下げが絶妙
で、今回無事幼少時代のエピソードを披露してくれましたが、こういうキャラクターの掘り下げ回、つまり「過去編」みたいなものを見るにつけ、自分は最初にうんざりしかかるということがあります。主人公の掘り下げはともかく、サブキャラ(もしかしたら環はダークホースかもしれませんが)を掘り下げる場合は、もちろん全てのキャラクターに人格を認め、そのために全てのキャラクターに作品での行動原理の根拠となるバックグラウンドについての説明(つまり回想)を挿入するという前提に基づいてることはわかります。
しかしながら、キャラクターの平面化を避けるためにやったであろうサブキャラの掘り下げさえ、機械的な作業で行った場合、あるいは説得力を伴わせることができなかった場合は、却ってキャラクターの平面化の要因となり、様々な作品でそうした機械的作業を目撃した読者がいた場合、彼はうんざりせざるを得ないというマイナスの結果を生んでしまいます。
その点、マザーグールでのキャラクターの掘り下げは実に丁寧で、今回の環の掘り下げに限りませんが、キャラクターのアイデンティティの危機みたいなものを、そのバックグラウンドとして持たせ、物語の展開に深みを必然的に与えるところまで設定として昇華させる力量が相当なものだと思いました。今回でその認識が更に深まりました。
それなのに知名度が全然足りないと思います。
ありがとうと言ってもらいたい単純な承認欲求モンスターではない
冒頭一番好きな言葉は「ありがとう」と言っており、他人からありがとうと言われまくって喜んでいる描写から、自分を他人に誉めてもらいたいただの承認欲求モンスターに過ぎないと思われるかもしれません。しかしそうではないと思います。
仮に「相手にありがとうを言わせること」だけを目的にしているのならそうとれる可能性もあると思いますが、彼女が願っているのは、「お互いにありがとうと言い合う」という「世界」だからです。つまり「誰かに良いことをしてもらったら必ずありがとうと言うべき」だということです。一見すれば全く反論の余地がない意見です。教科書的な、誰もが守るべき道徳です。
しかし問題なのは、現実がそのようにならないこと(つまり実際には正しく世の中が動いていないこと)です。正直なぜそうならないのかはっきりした答えは自分にもわかりませんが、やるべきことがあっても何となくできないことがあるのは事実でしょう。多分「ありがとう」は「世界が正しく動くためにやるべきこと」の「一つ」であり、象徴なのだと思います。だから例えば、赤信号を無視して渡るとかいった話でもいいのだと思います(作中では出ないでしょうが)。
氷の世界
突然ですが、このコマからは、まさしく井上陽水の「氷の世界」の歌詞が当てはまると思うのです。
そのやさしさを秘かに胸にいだいている人は
いつかノーベル賞でももらうつもりでガンバってるんじゃないのか
ここのノーベル賞というところに詩人の感性の鋭さの一点を感じ、心の中でギクッとしたのですが……まあ、ここでいうやさしさは多分環の優しさと違う(と私は勝手に分析してますが)と思いますが、人に優しくすれば(=善行を積めば?)、幸せになれる(あるいはその資格がある)、あるいは天国に行けるみたいな認識が彼女にはあると思います。ただ、特定の宗教を別に揶揄するつもりは毛頭ありませんが、人に優しくさえしておけば必ず自分は幸せになれるという考えは、妄想に過ぎないと思います。というか、子供じみた幸福論というほうがしっくり来ます。この歌詞を環に当てはめれば、まあ明らかに皮肉でしょう。彼女自身は証明書を順調に集めている気でしょうが、多分その努力は報われません。
目的は美しい世界の維持
彼女の頭の中では、地球上のすべての人類がそうしたことをやっていれば、世界は不幸な人のいない美しい国になるのです。つまり、人類全員が正しいことだけを行う必要がある。そうでない行為は美しくないし、その行為者も美しくない。その人の考えを改めさせることができればいいのでしょうが、改めることができない人は必ず一定数います。その現実に突き当たった時、彼女は恐らくその人を異分子として強制的に排除する(=最も攻撃的な手段では殺人)でしょう。多分環はそういう人物です。
多分、彼女自身はそうしたものを「嫌々守らなければならない厳格なルール」とは捉えていないと思います。人間の理性で考えれば、最終的に絶対に正しいと誰もが導ける結論だと考えているからです。つまりそれはどう考えても人間が本来であれば自然と守ることのできるマナーみたいなものでしょう。「自然と守れるはずだからこそ」、そうなっていない現実に納得できないのだと思います。
そうくると、彼女が考えそうなのは、例えば本来そういう美しい世界だったけど何者かがそれを乱している、というような状況でしょうか。自分が実現しようとしている?美しい世界の邪魔をしようとしているのが草間トリノ、みたいな感じで。
これは、自分がもらったプレゼントを、ごねる妹の絹子に譲ったシーンです。傍から見れば相手を思いやる優しい子にしか見えないのが、悲劇的なところだと思います。その胸中は、相手を汚い世界に住む畜生と同等であると見倣しているからです。ここでこの家族がエスパー能力を有していれば、家族はその認識を変えようとするでしょう。そのことが正しいことかどうかまではわかりませんが、少なくともその後の物語は全く違うものになっていたかもしれません。だからこそ、この漫画では「心の声」を重視している気がしてなりません。
極端な二元論者
小さい子供を人間として扱わず、獣と同等であると認識する考え方は、読者によってはショッキングなものかもしれません。ですが、赤子や小さな子供を人間として扱うべきかどうかという議論はどうやら昔からあるようですし、少なくとも今世界で中絶が認められているということは、そういうことだと思います。
ここでの環の考えは、やはり子供特有の、物事を峻別し、二元論で世界を捉える傾向が全面に出てきたものと言えると思います。具体的に言うと、
- 環=人間
- 絹子=獣
- 美しい世界
- 美しくない世界
さらに言うと、現時点ではまだ本編に出ていませんが、
- 困っている人を助ける人
- 困っている人を助けない人
この対立が出てくる可能性はかなり高いと思います。
多かれ少なかれ、二元論を好む傾向自体は多分誰にでもあると思いますが、実際には大人になるにつれて現実の複雑さを体感して、この世には割りきれないものがあると理解していくのが大半だと思います。しかし環の場合は、子供の中でもその傾向が特に強く、年齢を重ねてもその認識のまま生き続けている、そういうキャラクターなんだと思います。
つまり、環の目的は美しい世界を維持すること、つまり自分だけでなく世界全体の幸福を保つことだと思います。宮沢賢治みたいになってしまいましたが……しかし実際には世界は美しくありません。チラシという落とし物を拾ってもらってお礼を言わない人は、五万といます。それを自分の身一つで正すことは絶対にできないと悟り、今まで美しいと思って過ごし、また頑張ってきた世界は美しくないと気づいた時、彼女はどうするのでしょうか。次回あたりその辺がでてくるかもしれません。
本当に生来の思想か?(選ばれし者か?)
しかし、これは「建前」かもしれません。
というのは、翻って現実を見て、この二元論に固執する性格の人を見た場合、外的要因のせいか元から備えていた性質か、どちらになるのでしょうか。もちろんそれは人によるのでしょうが、外的要因に基づいてそうなってしまう人がいる可能性は、十分にあると思います。漫画と現実は違いますが、環は元からそういう性格ではなくて、例えば先のプレゼントの時に、きちんと自分の意見を言わなかったために精神的優位を保つための方便としてあのような思考に至った、そうした体験が積み重なって極端な二元論者になった。リアリティを過度に求めるなら、こうしたロジックが展開される可能性もあります。人間臭さを求めるなら、選ばれた人間ではなく、このように環境要因に過ぎないという設定のほうをとるでしょう。まあ、これはかなり私情の入った妄説ですが……
とはいえ、描写を見る限りでは多分そうならず、元からそういう性格で、笙子との出会いがそれを強固なものにした、という展開になるかなと予想します。
最後になりますが、よくこんなキャラクター象を打ち立てられるなと脱帽した回でした。